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東京地方裁判所 昭和24年(ワ)849号 判決

原告(反訴被告)に対し被告株式会社興隆洋行(反訴原告)は別紙目録<省略>記載(一)の室を被告加藤は(二)の室を明渡せ。

被告株式会社興隆洋行は原告(反訴被告)に対し昭和二十四年十月一日より被告等が前項記載の室を明渡済迄一ケ月金三千四十円の割合による金員を支拂え。

原告(反訴被告)のその余の請求並被告澁谷に対する請求は之を棄却する。

原告(反訴被告)は被告株式会社興隆洋行(反訴原告)に対し金四千三百四十円を支拂え。

被告会社(反訴原告)の原告(反訴被告)に対するその余の反訴請求は之を棄却する。

訴訟費用中本訴の部分は之を十分しその七を被告興隆洋行及被告加藤の負担とし、その三を原告(反訴被告)の負担とし、反訴の部分は之を十分しその一を原告(反訴被告)の負担としその他の部分は被告株式会社興隆洋行(反訴原告)の負担とする。

本判決は原告(反訴被告)勝訴の部分に限り原告(反訴被告)に於て、被告興隆洋行並びに同加藤に対し、それぞれ執行開始前金五万円の担保を供するときは仮に執行することが出來る。

二、事  実

原告(反訴被告以下單に原告と略称する)は主文第一項同旨及び被告株式会社興隆洋行(反訴原告以下被告会社と略称する)は原告に対し昭和二十三年九月十日より被告等が本件室を明渡済迄一ケ月金三千四十円の割合による金員を支拂え。訴訟費用は被告等の負担とするとの判決並びに仮執行の宣言を求め、反訴について反訴請求を棄却する旨の判決を求め、本訴請求原因として訴外岡村栄次郎は被告会社の前身である志村工業株式会社に対し、昭和十九年六月十三日事務所使用の目的(住宅使用の目的を除外する)を以て自己の所有する別紙目録記載の建物の中、地階一号室、二号室、一階十一号室を賃料一ケ月金六百三十円で二階二十号室を昭和二十年六月一日賃料一ケ月金二百円で三階三十五号室、三十六号室、三十七号室五階五十六号室を昭和二十一年三月一日賃料一ケ月金三百九十円で、毎月末日にその月分の賃料を支拂うこととし、期間をそれぞれ一ケ年と定め、なお期間満了三十日前に当事者に於て解約の意思表示をしないときは、同日より向う一年間契約を継続するものと看做し、以後満期の際はすべて右と同一方法により同一期間継続するものとし、賃料を支拂期日に支拂はない場合は、其の履行請求の通知を受けてより三日間を過ぎた時は契約を解除することを特約して賃貸した。而して右訴外岡村は東京都知事から賃料増額の認可を受けたので、昭和二十一年十月一日右両当事者間で次の通り賃料の増額を協定した。

一、地階一号室二号室 一ケ月について、金千六百円

一、一階十一号室 同 金千四百四十円

一、二階二十号室 同 金千六十四円

一、三階三十五号三十六号三十七号室 同 金千二百五十円

一、五階五十六号室 同 金三百円

合計金五千六百五十四円

而して志村工業株式会社は昭和二十二年十一月五日、その商号を株式会社興隆洋行と変更し又右訴外岡村栄次郎は昭和二十三年六月十二日本件建物を原告に讓渡し同月十四日その所有権移轉登記を完了し原告は右訴外人と被告会社との右賃貸借契約を承継した。然るに被告会社は昭和二十三年六月一日以降同年八月末日迄三ケ月分の賃料合計一万六千九百六十二円を支拂はないので、原告は右賃料に付各月末日に催告した後前記特約に基き、被告会社に対し、同年九月七日附内容証明郵便を以て、右賃貸借契約の解除の意思表示をなし、右は同月九日被告会社に到達したから、同日右契約は解除された。仮りに右解除が無効であるとしても、原告は被告会社に対し昭和二十四年一月二十九日附内容証明郵便を以て、延滞賃料を右郵便到達の翌日から二日間に支拂うこと、もし右期間内に之を支拂はぬときは右期間満了と同時に前記賃貸借契約を解除する旨の條件付解除の意思表示を爲し右郵便は同月三十一日被告会社に到達したが、被告会社は右期間内に右延滞賃料の支拂をしなかつたから同年二月二日右契約は解除された。而して被告会社は賃貸人原告に対しては無断で別紙目録記載(二)の室を被告加藤に(三)の室を被告澁谷に轉貸しているが右轉貸は原告に対抗できないから、同被告等二名は何らの権限なくして、右室をそれぞれ不法に占有している事になる。而して原告会社は昭和二十三年九月十日以降は二階以上の各室の轉借人と直接に賃貸借を締結したから右を除く部分について原告は被告会社に対し右賃貸借契約解除による貸室明渡義務の履行として別紙目録記載(一)の室の明渡を、被告加藤被告澁谷に対しては本件建物所有権に基き前記各占有の室の明渡を求め、更に被告会社に対し昭和二十三年六月一日以降同年九月九日迄の延滞賃料金一万八千六百五十八円二十銭に対しては昭和二十四年七月十一日弁済供託があつたから之を控除し昭和二十四年九月十日より右室明渡済に至る迄賃料相当の一ケ月金三千四十円の割合による損害金の支拂を求める。尚被告等の(一)(二)の抗弁事実は否認し、且(四)の被告会社の主張に付窓ガラスは戰災後被告会社が原告に贈與したものであり、仮に原告が代金を支拂うべきものとするも被告主張の枚数は爭う。一階表大ガラスの破損は戰災により破損したものではなく、被告会社が破損させたものであるから、当然被告会社が負担すべきものであるから之れは本件建物の必要費とはならない。又二階の間仕切は單なる造作であつて、造作買取請求権は本件の如く被告の債務不履行を原因とする契約解除の場合には之を請求をなすことは出來ない。尚反訴の答弁として被告主張事実を否認すると述べた。<立証省略>

被告会社及被告加藤被告澁谷は本訴について「原告の請求は之を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする」との判決を求め被告会社は反訴に付いて「原告は被告会社に対し金十三万二千四十五円を支拂え。反訴訴訟費用は原告の負担とする」との判決を求め、本訴請求原因に対する答弁として被告会社及び被告加藤は、原告主張事実中訴外岡村栄次郎と被告会社の前身である志村工業株式会社との間に住宅使用を除外するとの点を除き原告主張通りの賃貸借契約の成立したこと、昭和二十一年十月一日右当事者間で原告主張の如き賃料増額の協定をしたこと、志村工業株式会社が昭和二十二年十一月五日その商号を株式会社興隆洋行と変更したこと、被告会社が原告主張通り賃料を延滞したこと、原告の昭和二十三年九月七日附内容証明郵便が同月九日に、昭和二十四年一月二十九日附内容証明郵便が同月三十一日に被告会社に到達したこと、被告会社が別紙目録記載(二)の室を被告加藤に轉貸したこと、昭和二十三年九月十日以降二階以上の室に付て原告と当該轉貸人間に直接に賃貸する事となつたことは認める。原告が右訴外岡村より本件建物を讓受け本件賃貸借を承継したことは不知、その他は否認する。而して原告主張の特約に依る契約解除権のある事は否認する。次に昭和二十四年一月二十九日附内容証明郵便による賃料支拂の催告期間の二日は民法第五百四十一條に所謂相当期間ではないから、原告の解除の意思表示は無効であると述べ、被告澁谷は被告会社の嘱託であるから、地下室を使用されているが右轉借人については原告の承諾を得ていると述べ更に抗弁として(一)本件賃貸借契約中解除に関する特約は賃借人に極めて不利であるが、本件賃貸借締結の際志村工業株式会社は右訴外岡村が、右は單に形式的な例文である旨述べた故之を承諾したものであり、かかる例文は何ら当事者を拘束する効力を有しないものであるから、かかる特約に基く原告の解除の意思表示は無効である。仮りに然らずとするも原告と被告会社との戰時中よりの信頼関係殊に被告会社が戰時中の空襲の際本件建物の防火に盡した功績及び現下住宅難の社会事情等に鑑み、三ケ月の賃料延滞を理由とする契約解除は信義誠実の原則に反し且権利の濫用であるから無効である。(二)被告会社が被告加藤に昭和二十年三月中地下室を轉貸したことについては右訴外岡村の承諾を得ているから之を事由として契約を解除する事はできない。(三)被告会社は昭和二十四年七月十一日に昭和二十三年六月一日より同年九月九日迄の賃料金一万八千六百五十八円二十銭及び同月十日より昭和二十四年七月十日迄の賃料金三万四百円を、又同年八月二十三日同年七月十一日より同年八月十日迄の賃料三千四十円をそれぞれ東京法務局へ弁済供託した。(四)(イ)被告会社の前身である志村工業株式会社の代表取締役であつた被告加藤は被告会社の代表者として昭和二十年二月二十五日本件建物を戰災より防護し、そのため金一万四千百九十円の費用を支出したが之れに依り原告は右費用の支出を免れ結局法律上の原因なく被告会社の右支出に因つてその額に相当する利益を受けているから不当利得としてこれが返還義務がある。(ロ)右志村工業株式会社は昭和二十年七月本件建物保存のため当時價格一枚五十円の窓ガラス百十枚を提供し、合計金五千五百円を本件建物の必要費として支出し(ハ)同年三月戰災のため破損した二階表入口の大ガラスを入替えて、その價格金二千円を本件建物の必要費として、支出し(ニ)昭和二十一年六月、二階間仕切を造つて金六千五百円を支拂つたが之れも本件建物の必要費となる。(ホ)昭和二十三年四月、被告会社は本件建物の地下室にある下水設備が破損したので之が修理をさせて金千八百円の有益費を支出をしたが右の價格は現存している。よつて被告会社は原告に対し(イ)については不当利得返還請求権としてまた(ロ)(ハ)(ニ)については必要費償還請求権として(ホ)については有益費償還請求権としてそれぞれ右の金額の支拂を原告に求めるべきであるが右(ホ)を除き、他の請求権はいづれも右権利の発生した後経済事情が変更した結果右支出したものの價格が増加したから少くとも本件賃貸借の賃料値上の率に應じ之に四・八倍の額に増加したものと認めるを相当とするから結局合計十三万五千三百十二円と前記(ホ)の金千八百円合計金十三万七千百十二円の金銭債権を有するから之を以て原告の被告会社に対する昭和二十四年八月十一日以降同年九月三十日迄の賃料債権と対等額につき、本訴訟で相殺する。よつて原告の本訴請求は理由がないと述べ、更に被告会社は反訴請求原因として、被告会社は原告に対し前記抗弁(四)の如く相殺した残額金十三万二千四十五円の支拂を求めるため反訴請求に及んだと述べた。<立証省略>

三、理  由

本件建物の前所有者であつた訴外岡村栄次郎と被告会社の前身である志村工業株式会社との間に昭和十九年六月十三日本件建物の使用目的の点を除き其の他原告主張の如き賃貸借契約の成立したこと、昭和二十一年十月一日右当事者間で原告主張の如き賃料増額を協定したこと、右志村工業株式会社が昭和二十二年十一月五日その商号を株式会社興隆洋行と変更したこと、については当事者間に爭がない。而して当事者間にその成立について爭のない甲第一号証(登記簿謄本)並に証人岡村栄次郎の各証言によれば原告は昭和二十三年六月十二日訴外岡村栄次郎より本件建物の所有権を讓受け同月十四日にその所有権移轉登記を完了したことを認めることが出來る。從て右建物所有権の移轉と同時に原告は前記賃貸借上の地位を承継したものと謂わねばならない。而して被告会社が昭和二十三年六月以降同年八月迄の前記賃貸借に基く賃料の支拂を不履行した事は右当事者間に爭なく、原告は被告会社に対し前記賃貸借に於ける特約に基き昭和二十三年九月七日被告に対し右賃貸借契約解除の意思表示を爲し該意思表示は同月九日被告会社に到達した事は同被告の認むるところである。然るに被告会社は右解除権に関する特約は無効であると主張するから考うるに成立に爭なき甲第二号証(賃貸借室契約書)第十條に依ると賃借人が契約不履行に依り賃貸人よりその履行の催告を受けて三日間内に履行しない場合は賃貸人は契約を解除し得る旨の定めのある事は明白であつて斯る特約は借家法第七條所定の賃借人に不利の條項に該当せざるは勿論之を無効とすべき何等法律上の根拠はない。從つて右は契約自由の原則上当事者は自由に特約し得べき事項と言わねばならない。被告会社は右條項は所謂例文であつて当事者を覊束する効力はないと言うけれ共此の点に関する被告加藤敏雄の供述は証人岡村栄次郎同渡辺静夫の各証言(各第二回)に徴して採用しない。尤も右甲第二号証には賃貸借契約の條項として妥当ならざるものの存する事は認められるが夫れはその條項自体が無効であるだけであつて何等本件の右事項については関係はない。次に被告等は右特約が有効であるとしても本件契約解除は信義誠実の原則に反し且権利の濫用であるから無効である旨抗爭するが、前掲証人渡辺静夫の証言によれば被告会社が昭和二十三年六、七、八月分の賃料を延滞したので原告の本件建物の管理人である渡辺は原告の代理人として右六月分については七月五日に右七、八月分に付ては各月末日に夫々右賃料の支拂を請求し且右八月末日の際は被告会社社長に対し原告会社社長と直接会見するよう慫慂した事実を認めることができるから原告としては十分手段をつくしたという事ができる。尤も前掲岡村証人の証言(第一、二回)及被告加藤敏雄本人の供述する処に依れば戰時中の空襲の際被告加藤が被告会社代表者として本件建物の防護の爲多大の努力をした事は認める事ができるが、之れは又同時に被告会社自身の財産と利益の防護の爲でもあつたし又同時に当時は国民としての重大の義務でもあつたのであるから此の事があつたからとて直ちに本件契約解除権の行使が信義誠実の原則に反し且権利の濫用であるとは言へないと思う。よつて被告等の右の主張は採用しない。

然らば前記契約解除は前記特約(甲第二号証第十條)に基く解除権の行使として何等間然する処がないものと謂うべきであるから前記の如く該意思表示が被告会社に到達した昭和二十三年九月九日を以て本件賃貸借は適法に解除されたものと判定する。依て賃貸借解除に付ての爾余の爭点に関しては判断を省略する。左すれば被告会社は原告に対し本件建物の中別紙目録(一)の部分を明渡す義務のある事は当然である。

次に被告加藤は被告会社から別紙目録記載(二)の室を昭和二十年三月中に当時の本件建物の所有者であつた右訴外岡村の承諾を得て轉借した旨主張するからその点について考えるに被告加藤の本人訊問の結果並前掲岡村証人の証言(第二回)に依れば被告加藤が昭和二十年三月十日の空襲で自宅が戰災に因り燒失し当時住居に困惑した爲当時同人は被告会社の代表者であつた関係上本件建物の地下室(別紙目録(二)の部分)を轉借して使用するに至つたものである処当時の賃貸人たる岡村栄次郎も空襲直後の東京都の住宅拂底の当時の事情に鑑み暗黙に右の事実を承諾した事を窺知する事ができる。

併し原告と被告会社間の賃貸借が前記の如く解除となつて終了した以上被告会社と被告加藤間の右轉貸借は当然賃貸人である原告に対抗し得ざるに至つたものと謂わねばならないから被告加藤は本件建物の所有者たる原告に対し前記部分(別紙目録(二))を明渡す義務があるものと謂わねばならない。次に原告の別紙目録記載(三)の室についての被告澁谷に対する請求について按ずるに檢証の結果によれば同室には被告澁谷所有の机二個椅子三個本箱一個があり、映画館、劇場の廣告ビラが貼付されてゐるから同室は被告澁谷の占有に属すると認めることが出來るが被告加藤敏雄(第二回)の供述に依ると被告澁谷は右檢証後の昭和二十五年一月末日限り右の部分から退去して現在右の部分を占有していない事が明瞭である。右認定と牴触する本件に顕れた全ての証拠は採用しない。從て右被告澁谷の右部分に対する占有を前提とする原告の被告澁谷に対する請求は理由がない。

次に被告会社主張の相殺の抗弁について按するに被告の(イ)の主張は本件建物を戰災から防護した事を事由として不当利得返還請求権が成立したというのであるけれども、思うに右請求権は昭和二十年二月二十五日当時の本件建物所有者である訴外岡村栄次郎と被告会社間に生じた債権関係であつて本件建物の帰属の移動に從て当然原告が右債務を承継すべき筋合でないから、被告会社は右訴外岡村栄次郎に対して右請求権を主張するは格別本件原告に対して之を主張する事のできない事は当然であるから、右債権の成否に付て判断する迄もなく被告会社の右主張は理由がない。

次に被告会社の(ロ)の主張について考うるに被告加藤の本人訊問の結果によれば昭和二十年二月二十五日本件建物が戰災にあひその際窓ガラスが破損したので被告会社の前身である志村工業株式会社がその当時所有していた色ガラスを当時の本件建物の所有者であつた岡村栄次郎と話合の上右の窓ガラスの代用として提供したことが認められる。

而して証人志村正治の証言に依れば右窓ガラスに使用したものは全部六十枚で一枚は横一尺五寸縱一尺二寸のものであつたが一尺四方のものを一坪として当時の價格は八十円位であつた事が明であるから右價格は合計金八千六百四十円である事が計数上明瞭である。右認定と牴触する被告加藤の供述並檢証の結果は採用しない。(檢証の結果に依れば右窓ガラスは五十三枚であるが昭和二十年六月から既に四年有余を経ているから其の間に破損したもののある事は推定するに難くない)而して右被告加藤本人の供述並檢証の結果に依れば右の窓ガラスは本件建物の外側に入れてあつて風雨を防ぐに必要のものであるから本件建物の本來の性能を維持するに役立つているし且空襲に因り破損した爲に入れたのであるから所謂臨時の必要費と目すべきものである。然るに被告会社は右限度内で金五千五百円を必要費として之が償還を求めているから右金額は正当と謂はねばならない。(右認定と牴触する証人岡村栄次郎の証言は採用しない)

次に被告会社の(ハ)の主張に係る一階表障子の大ガラスについて考へるに被告加藤本人の供述(第二回)に依ると右ガラスは昭和二十年二月二十四日の空襲の際外側からの強い火力の爲破損した事、当時右ガラスの價格は一枚二千円位なりし事を夫れ夫れ認める事ができる。右認定と牴触する岡村証人並渡辺証人の証言はいづれも採用しない。而して右ガラスも檢証の結果に依れば前段で説示したと同じ理由で本件建物の臨時の必要費として支出したものと謂うべきであるから被告会社は之が償還を請求し得べき事は言を俟たない。

次に被告会社の(二)の主張について考えるに檢証の結果に依れば本件建物は鉄筋コンクリート造であつて右二階の間仕切は一見して直ちに木造の一時的施設である事が明かであるから結局本件建物の構成部分ではなく該部分は被告会社の所有に属する單なる造作であると認めるを相当とする。從つて被告は右に関する費用を必要費又は有益費としてその償還を請求する事はできない。併し右が造作であるとすると成立に爭ない乙第九号証で認められる本件賃貸借成立当時賃貸人から被告会社が買受けた本件建物の一階第十一号室に取付けてあつた造作(被告は之に対する主張を遺脱しているが)と共に造作買取請求権を行使し得る訳であるが、右買取請求権は本件の如く賃借人の債務不履行に因り契約が解除されて賃貸借が終了した場合には賃借人は賃貸人に対し該買取請求権を行使する事ができないものと解するからいづれにしても被告会社の此の点の主張は採用し得ない。

次に被告会社の(ホ)の主張に付いて考へるに檢証の結果並前掲被告加藤本人の供述(第二回)及同証拠により成立を認め得る乙第七号証の一、二によれば被告会社は昭和二十三年四月二十八日頃本件建物の地下室にある下水施設の修理を爲し金一千八百円を支出した事、該施設は本件建物自体の保存維持には必要とは言えないが少くとも該下水設備の完備している事は結局本件建物の客観的價値を増加せしむるものである事は明かであるから一種の有益費であると認めるを相当とし而も該施設は現在も尚異状がない事が明であるから右價格は現存しているものと謂う事ができる故被告会社は右有益費の償還を請求し得る事は当然である。從て被告会社は右支出額か又は右現存増加價格かいづれかを選択して請求し得る訳であるが被告会社の主張の趣旨に徴すると前記支出額を請求している事が認められるから右の主張は理由あるものと言わねばならない。

而して以上被告会社の必要費は合計金九千三百円であるが被告会社はその後の経済事情の変更を事由に賃料増額の割合に應じ右金額中右(ホ)の有益費を除きその他の分に付いては四、八倍に債権額が増加したと主張するが凡そ必要費の償還請求権は当該占有物の回復者が占有者の損失に因つて利得する結果をその儘放置する事は財産関係の公正を期する法律の理念に反するところから不当利得制度の法律の精神に則て認められた請求権であるから、その損失と利得との間に因果関係がなければならない。即ち右の因果関係のない利得は右の損失に因つて生じた利得でないから不当とは言えない故必要費として之を償還する要はないものと言わねばならない。今この理を本件について稽えるに被告会社主張の前記必要費は孰れも被告会社がその支出をする事に因て本件建物所有者は当時自ら当然爲すべき筈であつた右の支出を免れたのであるから右支出額に相当する額は利得として之を償還するのは当然であるけれ共、右の「支出」の対象と爲つたものは結局本件建物の所有権に帰属した。從て右支出後右建物全体の價格が増加したとしても夫れは経済事情の変更に因て生じた利得であるからその利得は該建物所有者に帰属するのは当然の筋合であつて被告会社の右支出に因て直接該建物所有者が得た利得ではないから前叙不当利得制度に所謂不当の利得に該らないものと言わねばならない。從て本件建物の所有者である原告は被告会社に対し右増加額を必要費として償還する義務はないものと解する。尤も被告会社の主張が右請求権発生後之が履行を求める現在迄の間に当事者の予期しない而も双方の責に帰すべからざる経済事情の変更に因つて右債権発生当時の給付その儘を現在原告に履行せしめる事は信義公平の観念上当事者である被告会社に取つて著しく不当であるという趣旨であるとしても今次の大平洋戰爭後の我国の経済界の現状は第一次世界戰爭後に独乙に起つた惡性インフレの如くその変更の程度は激烈でなく且本件請求権は昭和二十年七月頃の戰爭末期に生じた債権であるから当事者が当初全く予見しない又予見し得ざる程度のものではないし殊に賃借人が必要費を支出したときは民法第六百八條に依つて賃貸人に対して「直ちに」請求し得るのであるから、右支出後直ちに之を請求せずに言はばその権利の上に眠つていた者がその後経済事情の変更に因つて價格が下落せずに偶々増加したからといつて直ちにその増加額を請求し得るというのは寧ろ信義公平の原則上その理由がないものと考える。仍て此の点の被告会社の主張はついに採用しない。

而して本件賃貸借の賃料中昭和二十三年六月一日より同年九月九日迄の延滞賃料合計金一万八千六百五十八円二十銭について被告会社から弁済供託のあつた事は当事者間に爭なく、又成立に爭ない乙第六号証の一、二に依ると被告会社は原告に対し昭和二十三年九月十日より昭和二十四年七月十日迄の損害金三万四百円同年八月二十三日に同年七月十一日より同年八月十日迄の損害金三千四十円、右合計金五万二千九十八円二十銭を東京法務局へ供託していることを認めることが出來る、依つて右債権は之に因り消滅したものと言へる。次に被告会社は前記費用償還請求権と原告主張の昭和二十四年八月十一日より同年九月三十日迄の合計金五千六十円の損害金と本訴に於て相殺を主張するから被告会社主張の前記債権金九千三百円と右原告の債権金五千六十円とは対当額で右相殺に因つて夫れ夫れ消滅に帰したものと謂わねばならない。

從て被告会社の反訴請求に係る右債権残額金四千二百四十円に付原告は被告会社に対し之が支拂義務あるものと謂うべきである。

尚被告会社は原告に対し昭和二十四年十月一日より右室明渡に至る迄右室の賃料に相当する一ケ月金三千四十円の損害金を支拂うべき義務のあることは明らかであるから、原告の本訴請求並被告会社の反訴請求は孰れも前叙説示した限度に於て理由があるから之を認容しその余の部分は理由がないから之を棄却する。

仍つて訴訟費用については本訴の部分は民事訴訟法第九十二條、第九十三條第一項本文を、反訴の部分については、同法第九十二條を、仮執行の宣言については同法第百九十六條第一項を適用して、主文の通り判決する。

(裁判官 佐野英雄)

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